水と山と酉と「古懸山不動院」ーつがるみち10

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 津軽地方には神仏習合の寺社が数多くありますが、ここ国上寺もそのひとつです。本堂の隣りに、ひとつの社が並んで建っています。名前は「不浪寄八幡宮」。
 「不浪寄・・?」ー私は読めませんでした。後で調べてみると「なみよせしらず」と読むということが分かりました。それにしても山間の地なのに何で「浪?」と思いましたが、縁起によると「創建は不明であるが30代敏達天皇の御代(572?~585年?)に、大規模な山津波(白髭水)が起きたが、八幡様の霊験により被害を最小限で食い止めることができた。以来、不浪寄八幡宮と呼ばれるようになった。」と伝えられています。その後、坂上田村麿がこの地を訪れ、神像を奉納し、社殿を再建したのだとか。。

↓以下の画像は、クリックで拡大します。

不浪寄八幡宮①

不浪寄八幡宮②

不浪寄八幡宮③

不浪寄八幡宮④

不浪寄八幡宮⑤

龍神堂

龍神堂裏の滝


(にわか勉強ですが)、 「白髭水(しらひげみず)」とは、白髪白髭の老人が大きな水の波に乗ってやって来るという、北上川沿いに残る伝承からきた大洪水の呼び名です。
~ある日、一人の木こりが川の奥に木を切りに行くと、白い頭、白い髭のおじいさんに出会った。「おなかがすいた」と言うので弁当を差し出すと、ペロリと食べてしまった。それからも度々おじいさんが現れ、弁当をせがむので、困った木こりの奥さんは、川原で拾った石を熱くして、ふくべにはお酒の替わりに油を入れて木こりに持たせた。するとまた現れたおじいさんはそれを食べてビックリ。口から火を噴いたおじいさんが「雨よ降れ」と念じると、たちまち大雨が降った。雨は七日七晩降り続け、大洪水(山津波)になってしまった。以来、山津波のことを「白髭水が出た」というようになった。~とのことです。

 
 ここ碇ヶ関地区は、今では山側に大きなダム
碇ヶ関マップ
が築かれていますが、昔は、度々山津波や洪水などが起こった所でした。まるで川が怒っている様から「怒ヶ堰」とも言われ、それが「碇ヶ関」という地名の由来になったと言われています。この「不浪寄八幡宮」をはじめ、裏手には「龍神堂」、そして境内の中には山神堂
山神堂
弁天宮
弁天宮
も建てられており、山や川といった自然の神様を畏れ敬い、五穀豊穣を願う信仰が、この地に根づいていることが分かります。

 
 ところで、この八幡宮、社殿の前に一対の石柱が立てられていますが、よく見ると石柱に大きな龍
昇り龍・降り龍
が、一方は頭を上に、片方は下にして巻きついていました。「昇り龍・降り龍」といえばいいのでしょうか、由来は分かりませんが、一対で社を守っているかのようです。

 
 さて、この国上寺は大きな寺院であるだけに、いくつかの「肩書き」を持っています。由緒あるご本尊を安置する「東北三十六不動尊霊場」であり、「津軽弘法大師霊場」である他、酉年生まれの「津軽一代様」でもあるため、例年、たくさんの参拝客が訪れます。(※一代様については、拙記事「袋観音堂」をご覧ください。)
 そのことを示すように、境内にはこんな句碑も立てられていました。
「長男も 吾れも酉年 初不動」
酉年句碑
 ・・・ほのぼのとした句ですね。。

 
 「国上寺探訪」ー 次回でまとめにしたいと思います。

                            ☆つがるみち☆
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