のんびりとじっくりと!

  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 弘前市   Tags: つがるみち  

雲の橋その2「愛宕山橋雲寺」ーつがるみち21

 橋雲寺の起こりは、深く「勝軍地蔵」を信仰していた津軽為信が、津軽統一の過程で、黒石の浅瀬石城を攻めた際に、その菩薩像を手に入れたことが始まりとされています。
 戦いに勝利した為信は慶長7年(1602年)、浅瀬石の高賀野山に「教学院」を建立し、愛宕大権現を祀り、祈願所としたといわれており、この「教学院」が現在の橋雲寺の前身でした。

↓橋雲寺「護摩堂」 ※クリックで拡大します。

護摩堂①

護摩堂②

護摩堂③

護摩堂④

護摩堂⑤


 「橋雲寺」というこのきれいな名前は、津軽藩2代目藩主・津軽信枚がみた「浅瀬石の高賀野山から、ここ愛宕山に向かって雲の橋が架かり、勝軍地蔵が渡っていった。」という「夢」に由来しており、慶長14年(1609年)に信枚によって、「教学院」が現在の場所に遷され、寺号も「橋雲寺」となった分けです。そういういきさつもあり、このお寺は津軽藩において特に重要視され、夏の例祭には隊列を整えて参詣するのが常であったといわれています。

 境内には、稲荷神社
稲荷神社
や、三十三観音像
三十三観音像
、そして、弘法大師像
弘法大師像
も建てられていて(ここは津軽弘法大師霊場の8番札所にもなっています)、神仏習合の形をとどめています。
 また、先回ご紹介した「卯年生まれの一代様弘前天満宮」の守り本尊・文殊菩薩は、もともとはここにあったもので、その名残でしょうか、境内には天満宮
天満宮
も立っていました。

 ひときわ「歴史」を感じさせる建物が「護摩堂」。
護摩堂
このお堂は、明治14年に天皇が東国を行幸した際、当時の呉服商「金木屋」が青森県経済界の委託を受け、天皇の寝所として建立したもので、その後、ここに移築したとされています。お堂の中
護摩堂内
には、「奥の院」とともに勝軍地蔵が安置されているということですが、見ることはできませんでした。
 しかし、堂内には勝軍地蔵を描いた絵馬
勝軍地蔵
がたくさん奉納されており、中には「奥の院」を描いたこんな絵
奥の院
もあります。勝軍地蔵が飛び出してきそうですね。。

 参拝を終えて、再び山門前からの景色を眺めると、東に八甲田山、北には梵珠山、南に阿闍羅山が見えます。西の岩木山と合わせて「津軽の四つの霊山」です。

                            ☆つがるみち☆
関連記事

記事を読んでいただき、ありがとうございます。よろしかったら、応援をお願いします!

                 日本史 ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ にほんブログ村    


Comment

Trackback
10-2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

«   »

カテゴリー

openclose

グループ別記事

よろしくお願いします!
⇩に参加しています。応援してくださると励みになります!
にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村        

歴史 ブログランキングへ
Welcome
 記事を更新しないままに10月になってしまいました。。ゆっくりペースで神社・史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
My Profile
Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
My Friend
Thanks!
現在の閲覧者数:
My Contents
記事で紹介しているContentsをまとめています。ご覧ください!
コメント&トラックバック
Comments<>+-
Trackback <> + -
QRコード
QR