「入内観音堂」ー津軽三十三寺社巡り24-2
以前にも少しふれたことがありますが、青森県は、昔から、分けがあって「中央から落ち延びてきた」とされる人物にまつわる話がとても多いところです。
私が訪ねた史跡や寺社だけでも、長脛彦、源義経、花山院忠長、長慶天皇などの伝説にふれることができました。
そして、ここ入内の地には、あの平将門の孫・信田小太郎(しだのこたろう)という人物の伝承が残されているのです。信田小太郎は、幸若舞に登場する人物です。
『しだ【信田】 信太,志田とも書く。幸若舞の作品。上演記録の初出は1551年(天文20)。作者不明。平将門の孫信田小太郎(しだのこたろう)は幼少で父の死にあい,母は老臣浮島太夫の諫言を聞かず,小太郎姉千寿の夫小山行重(こやまゆきしげ)に所領の常陸信田庄の半分を与えて,小太郎の後見を依頼する。しかし,小山はすべての所領を横領し,母と小太郎を追放する。さらに,母を調伏で祈り殺し,降参した小太郎を千原太夫に殺させようとする。~kotobankより』
入内観音堂 ※クリックで拡大します。↓
(この幸若舞の物語のように)家臣の裏切りにあった小太郎は、諸国を放浪する旅を続け、天慶の頃(938~47年)、ここ入内の地に住み着き、白山権現社と観音堂を建立して、神仏に救済を祈願したといわれています。全国の白山権現社の多くは、菊理媛神(ククリヒメのミコト)を祭神としていますが、神話では菊理媛神は、黄泉比良坂で伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたところから、「平和・家内安全・仲裁」の神として崇められています。ー 伝説とはいえ、この菊理媛神を祀った小太郎の切ない思いが伝わってくるようですね。この「白山宮」 は、観音堂の裏側を少し登った小高い丘の上に立っています。
さて、観音堂には、隣の小金山神社とは別の参道が道路から延びていて、お堂には、 参拝した方々のたくさんのお札が掲げられています。この観音堂は、慶長年間(1596~1616年)に、津軽為信が再建し、「華福寺」の寺名を与えて保護しましたが、山奥の寺だったため、僧が住み着かず荒廃してしまったといわれています。
しかしながら、村人達は寛永18年(1641年)に新たに堂宇を建立し、その後、幕末まで霊場の24番札所として、多くの人々の信仰を集めてきました。本尊は「聖観世音菩薩」。恐山(おそれざん)に円通寺を開いたという慈覚大師の作と伝えられています。ここもまた、明治の神仏分離によって、本尊は上納を命ぜられましたが、観音像がなくなっても参詣する人々は絶えることはなかったそうです。その後、廃仏毀釈の流れが薄らぐと、村人達は隠し持っていた古い観音様を祀り直したのだとか。。
市街地から遠く離れた山里に静かに佇むこの観音堂は、昔も今も住民の「心の拠り所」。私が参拝を済ませ、駐車場で休んでいる間にも、何人かの方が車を降り、お堂にお参りし、さらに奥にある村へと向かっていきました。
☆津軽三十三寺社巡り☆
私が訪ねた史跡や寺社だけでも、長脛彦、源義経、花山院忠長、長慶天皇などの伝説にふれることができました。
そして、ここ入内の地には、あの平将門の孫・信田小太郎(しだのこたろう)という人物の伝承が残されているのです。信田小太郎は、幸若舞に登場する人物です。
『しだ【信田】 信太,志田とも書く。幸若舞の作品。上演記録の初出は1551年(天文20)。作者不明。平将門の孫信田小太郎(しだのこたろう)は幼少で父の死にあい,母は老臣浮島太夫の諫言を聞かず,小太郎姉千寿の夫小山行重(こやまゆきしげ)に所領の常陸信田庄の半分を与えて,小太郎の後見を依頼する。しかし,小山はすべての所領を横領し,母と小太郎を追放する。さらに,母を調伏で祈り殺し,降参した小太郎を千原太夫に殺させようとする。~kotobankより』
入内観音堂 ※クリックで拡大します。↓
(この幸若舞の物語のように)家臣の裏切りにあった小太郎は、諸国を放浪する旅を続け、天慶の頃(938~47年)、ここ入内の地に住み着き、白山権現社と観音堂を建立して、神仏に救済を祈願したといわれています。全国の白山権現社の多くは、菊理媛神(ククリヒメのミコト)を祭神としていますが、神話では菊理媛神は、黄泉比良坂で伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたところから、「平和・家内安全・仲裁」の神として崇められています。ー 伝説とはいえ、この菊理媛神を祀った小太郎の切ない思いが伝わってくるようですね。この「白山宮」 は、観音堂の裏側を少し登った小高い丘の上に立っています。
さて、観音堂には、隣の小金山神社とは別の参道が道路から延びていて、お堂には、 参拝した方々のたくさんのお札が掲げられています。この観音堂は、慶長年間(1596~1616年)に、津軽為信が再建し、「華福寺」の寺名を与えて保護しましたが、山奥の寺だったため、僧が住み着かず荒廃してしまったといわれています。
しかしながら、村人達は寛永18年(1641年)に新たに堂宇を建立し、その後、幕末まで霊場の24番札所として、多くの人々の信仰を集めてきました。本尊は「聖観世音菩薩」。恐山(おそれざん)に円通寺を開いたという慈覚大師の作と伝えられています。ここもまた、明治の神仏分離によって、本尊は上納を命ぜられましたが、観音像がなくなっても参詣する人々は絶えることはなかったそうです。その後、廃仏毀釈の流れが薄らぐと、村人達は隠し持っていた古い観音様を祀り直したのだとか。。
市街地から遠く離れた山里に静かに佇むこの観音堂は、昔も今も住民の「心の拠り所」。私が参拝を済ませ、駐車場で休んでいる間にも、何人かの方が車を降り、お堂にお参りし、さらに奥にある村へと向かっていきました。
☆津軽三十三寺社巡り☆
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