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  ーおじさんのバーチャル旅行記!ー                      

 
Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  

大柳辺稲荷神社 - つがるみち448




 縄文の学び舎・小牧野館がある青森市野沢から、八甲田酸ヶ湯方面へと向かう県道122号線沿いに大柳辺の集落があります。住所は野沢川部となっていますが、バス停などの名前も大柳辺となっている所です。
 大柳辺は「おおやなべ」と読むそうですが、集落の外れに集会所があり、近くに稲荷神社が鎮座しています。


 両端に雪が残る道路に沿って、白、赤、赤の三本の鳥居が並んで立っていますが、石造りの鳥居は稲荷神社、真ん中が庚申様、端っこのものは山神様の鳥居です。

 三つの鳥居には、少し色あせていますがブルーの注連縄が架かっていて、いずれも模様が編まれたジャンバラ型の注連縄です。特に稲荷神社のものは重量感のある豪華なものです。


    


 一の鳥居をくぐりぬけて境内に入ると、参道が続いており、右へ曲がると社殿が立っています。境内には、狛犬や御神燈ほか、いくつかの石塔が置かれています。赤い柱の拝殿には木彫りの龍や特徴のある木鼻が架けられていました。


    





 この神社については詳しくは分かりませんが、拝殿の中に簡単な縁起が記されていました。
○一五九二年 稲荷神社  
○昭和四十六年 拝殿再建  
○昭和五十一年 本殿再建  
○平成二十二年 鳥居再建
○祭神 倉稲霊大神
 どうやらこの社は、文禄年間(1592-1596)に、村人の手によって、五穀豊穣と村の繁栄を願って創建されたようです。 


 鳥居を伴った庚申塔は天保二年、山神様は明治二十三年の建立と刻まれていました。

 山間部に位置しているためか、境内にはまだ少し雪が残ってはいますが、黒い土の間から黄緑色のふきのとうが顔を出し始めていました。


    

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 黒石市  

中野不動の滝

 穏やかな日が続き、道路の雪もすっかりとけてしまいましたが、小高い丘の上の神社の境内には、まだ雪が残っています。
 中野山から流れ落ちる水は、神社の社殿の脇を通り、下に向かい、やがて名物の不動の滝となって、中野川に流れ落ちています。この時期は水量も多く、辺りにゴーゴーと水音が響いていました。


  


    


  


  

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

猿田彦大神 - つがるみち447




 先日、猿賀神社付近をぶらぶらしていたら、近くに小さな赤い鳥居が立っていたので立ち寄ってみました。
 辺りの住所は平川市猿賀石林になっているようですが、この鳥居は、盛美園の庭の裏側にあり、盛美園の塀が近くまで迫っています。
 鳥居に掲げられている扁額には「猿田彦大神」とあります。背の高い杉が何本か立っており、その奥に猿田彦の碑や青面金剛、庚申塔が置かれています。大きな猿田彦碑には注連縄が張られ、地元の信仰の厚さがうかがえます。


   





 この猿田彦大神の近くは墓地になっていますが、そこに道路によって遮断された形の土盛があり、「遺跡小田ノ森」という説明板が立っています。
【古図に大丹森(オオタンモリ)とあり夷賊酋長大丹丸(大丈丸とも)の首塚があったことから此の名が起ったと言伝えられ古墳塚が五基と七坊あった。昭和三十五年に古銭一万四百六十七枚、焼失屋敷、焼米、鉄製品が出土し、古銭の下限から鎌倉末期に埋れたものと推定されている。この地は縄文から歴史時代に至る遺跡包蔵地帯でもある。 ※説明板より

 縄文の昔から続いていた遺跡らしいのですが、発掘された古銭の中には、紀元前175年の中国の漢の半両銭や紀元前118年の五銖銭なども含まれていたとのことです。

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 平川市   Tags: つがるみち  

本町八坂神社 - つがるみち446




 平川市本町は、付近に私鉄の平賀駅やJAの建物、学校などが立ち並ぶ、旧平賀町の中心地ですが、その住宅街の一角に八坂神社が鎮座しています。
 御祭神は須佐之男尊(スサノオノミコト)。その由緒については詳しくは分かりませんが、
【享禄年間(1528-1531)に、大光寺城主・滝本播摩守が千手観音を勧請したのがはじまり】 と伝えられています。


 住宅にはさまれた道を進んで行くと、川があり、そこに赤い神橋が架かっています。橋を渡った所が境内ですが、雪解けが進んだとはいえ、まだ少し雪が残っています。

 境内には新旧の御神塔や狛犬、神馬、地元力士の顕彰碑などが置かれていました。神池を伴った末社が立っていましたが、弁天宮でしょうか。拝殿のとなりには、二十三夜塔と庚申塔、青面金剛像がまとめて置かれていました。


    


    


    

 一帯は、鎌倉時代の初期に幕命を受けた曽我氏が大光寺城主となり治めていましたが、南北朝時代になると安東氏、さらに室町期には南部氏の所領となり、大光寺城には南部氏の城代として滝本氏が入りました。ここ八坂神社の前身である千手観音堂は、その滝本氏が建立したもののようです。

 しかしながら、大浦為信による津軽統一が進み、天正三年(1575)、大光寺城は奇襲を受けて落城します。その後、大光寺城は、為信の娘婿である津軽左馬之助藤原建広(たけひろ)が城主となりましたが、建広は、消失した千手観音堂跡に大光寺城落城戦死者供養のために聖観音堂を建立しました。この観音堂が、明治になって八坂神社となる分けです。
 因みに、津軽左馬之助建広は、後の二代藩主・信枚と津軽家の跡目相続をめぐって争い、津軽の地を追放されたといわれています。


    

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Category: ふるさと【東北・青森】 > 青森市   Tags: つがるみち  縄文と弥生  

縄文の学び舎・小牧野館 ー つがるみち445




 青森市の小牧野遺跡は、国の史跡にも指定されており、北東北の縄文後期を代表する遺跡のひとつです。
 遺跡の土坑墓周辺から大量の土器や石器が発掘されている他、墓石や湧水遺構なども発見されていますが、何といってもこの遺跡を特徴づけているのは環状列石の存在です。
【直径2.5mの中央帯、直径29mの内帯、直径35.5mの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4mの環状列石などがあり、直径は55mにもおよぶ。荒川から運んだと推測された石を、縦に置き、さらにその両脇に平らな石を横に数段積み重ね、さらにその脇に縦に石を置いて環状に並べて、そうして出来た環をさらに三重(一部四重)にしている。この並べ方は石垣の積み方に類似する煩雑な並べ方からも全国的にも非常に珍しく、「小牧野式」と呼ばれている。※wikipediaより

 小牧野遺跡は山中にあるため、冬期間は訪れることは叶いませんが、遺跡から1.5kmほど離れた野沢の集落に「縄文の学び舎・小牧野館」があります。

 野沢には、近くにある津軽三十三霊場24番札所・入内観音堂(小金山神社)の御朱印所がありますが、村の中に今は閉校になった小学校の建物があります。閉校になったとはいえ、建物自体はまだまだ新しく、少しもったいない感じがしますが、ここが現在は小牧野館になっているというわけです。
 HPには、
【「縄文の学び舎・小牧野館」は、平成24年に閉校になった旧野沢小学校(小牧野遺跡から約1.5km)を改修し、出土品の展示や保管、遺跡に関する情報発信など小牧野遺跡の保護の拠点となる施設です。1階には展示室、2階には企画展示室や体験学習室、出土品の収蔵室等を設け、子どもからお年寄りまで楽しく小牧野遺跡を学ぶことができます。】と紹介されています。

 各展示室には、遺跡の解説をはじめ、土器や石器などの出土物、三内丸山遺跡や十腰内遺跡など、県内の代表的な縄文遺跡からの出土品が展示されている他、祭祀に関する道具・模型などが置かれ、縄文人の精神世界を知ることができます。また、環状列石を造るのに使われたと思われる道具(実験用)なども展示されていました。

 
    


    


    





 展示室の一角に、同じ青森市内の山野峠(さんのとうげ)遺跡から出土した土器館が置かれていました。
 山野峠遺跡は、小牧野遺跡と同様、縄文時代後期前半(約4,000年前)の遺跡と考えられていますが、青森市内から浅虫方面へと向かう国道4号線の久栗坂トンネルの真上、標高約90mの峠を挟む斜面に位置しています。一帯は、急斜面であり、周辺には住居に適した平地もないことから、集落は存在しないと思われており、縄文後期の「墓地遺跡」であるといわれています。
 この遺跡からは、同じ時代の石棺墓群と再葬土器棺墓群が互いに並んだ形で発見されました。このことについては、
「種類のちがう墓が同じ時期のものであると確認されたことから、亡くなった人はまず石棺墓に葬られ、後に、その骨が取り出され、土器棺の中に納めて再葬された」と考えられており、その独特の埋葬方法の発見は、縄文後期の墓制・葬制研究上、貴重なものであるとされています。 - 因みに、私はこの遺跡の存在を初めて知りました。

 私が小牧野遺跡を訪ねたのはだいぶ前のことになりますが、雪が解けて、アクセスが可能になった頃に、もう一度行ってみたいと思います。

※小牧野遺跡関係のHPやパンフレット等を参照しました。

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 桜咲く4月になりました。めっきり雪解けが進み、風は冷たいものの穏やかな天気が続くようになりました。ぼちぼちと史跡めぐりを続けたいと思います。拙い記事ばかりですが、読んでいただければ幸いです。ごゆっくりどうぞ!
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Author:korekarada       ふるさと「東北・青森県」の史跡を巡り、感想などを綴っています。ときには、まだ見ぬ地方への憧れを「バーチャル旅行記」として、書いていきたいと思います。
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